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昨日は、爽やかで抜けるような青空が広がり、中々気持ちのいい天候でした。
我が家では、ストーブを出したり、薪を運んだりと、ちょっとした冬支度。心地よい汗をかきながら、季節の移ろいを肌で感じる週末となりました。
秋といえば、中国の故事に「天高く馬肥ゆる秋」という諺があります。日本では、空が高く澄み渡り、実りの秋を楽しむ――そんな美しい季節を表す言葉として親しまれていますが、元々の意味は少し違っていたようです。
この言葉は、中国北部にいた騎馬民族が、馬を肥やし、空が澄む秋に攻めてくることが多かったことから、「敵襲に警戒せよ!」という注意喚起の言葉だったとか。
「いい時計してますね」という言葉が、実は「そろそろ帰ってほしい」という裏のメッセージだったりするように、言葉というのは表と裏を持つことがあります。
そこに隠された真意をあれこれ考えると、かえってややこしくなってしまうこともありますが、こうした故事に潜む背景を知ると、何気ない一言にも奥深さを感じますね。
今日のブログは、8月のお盆以来となるお墓参りをしたお話です。
世間一般でいえば、2か月ぶりというのは特別“久しぶり”というほどではないのかもしれません。
ただ、私自身は「月に1度はお墓参りをする」という目標を立てていたので、今年は少し足が遠のいていた感覚があります。
その理由は「熊」。
私のお墓は森の中にあり、近ごろはこの辺りでも熊の出没が相次いでいます。
お盆や彼岸の時期を過ぎると墓地はひっそりと静まり返りますから、一人で行くのはちょっとした勇気がいるのです。
これまでは、朝の出社前に立ち寄るのが習慣でした。
でも熊の出現率が高いのは朝夕。そこで今日は日中にお参りしてきました。
お墓の前に立つと、そこには9月の彼岸のときに両親が備えた花が、一輪だけ咲き残っていました。
そして足元に目をやると、見慣れない黄色い小さな花。
茎をたどっていくと、それはお墓の下の地面からすっと伸びていて、調べてみるとシマカンギク(野菊)でした。
花言葉を調べると、「あなたを忘れない」。
ここに眠る祖父母からの「忘れてくれるなよ〜」というメッセージなのか、はたまた「お前のことをいつも応援しているよ〜」というエールなのか、その花の意味するところは分かりません。
けれど、その黄色い花を見ていると、なんとも言えない勇気をいただけるのでした。
「なんか俺、来ている気がする!」――そんな根拠のない自信がふっと湧いてくるのです。
てなことで、お墓で「出たー」と言えば幽霊ではなく熊という時節柄となりましたが、
元気にお墓参りを続けていこうと思うのでした。
今日のブログは、「覚悟」について感じた小さな気づきの話です。
これまでの私にとって覚悟といえば、どこか“崖っぷち”のような場面で必要になるもの――責任とか我慢とか、命懸けとか。とにかく重たいイメージでした。
でも最近、少し違う角度からこの言葉をとらえ始めています。
覚悟って、もっと日常の中に、軽やかに存在していいんじゃないかと。
もっと言うなら、覚悟とは“目的が明確だからこそ”持てる境地。
誰のために、何のために――その目的を心に掲げ続けていれば、覚悟は状況に左右されず、静かに湧いてくる。
覚悟は、目的の隣にあるもの。いつも寄り添い、支えるようにそこにある。
覚悟があるからこそ、やり抜くことができる。
そしてどんな事実であっても、それをポジティブに受け止めるしかない世界が広がる。いや、ポジティブに捉えることが“できる”のです。
心の中心にあるもの。それが覚悟。
レジリエンスという言葉がやたらと飛び交う今の時代。
それを「自分自身で操る力」が求められる現代。
でもその根っこには、必ず覚悟がある。
この覚悟がなければ、レジリエンスはただの理想論で終わってしまう。
だからこそ、覚悟は特別な瞬間に振り絞るものではなく、目的の隣に日常の真ん中で、静かに灯しておくものなんだと思うのです。
昨日、推し活で友人と横浜に行っていた息子が帰って来ました。
今回の旅は、1泊2日の小さな冒険。
移動は飛行機、現地ではメトロ。
友人との初めての遠征で、計画も準備もすべて自分たちでこなしました。
少し緊張していたようですが、思いのほかスムーズに旅を楽しめたようです。
それにしても、田舎者の私が初めて東京に行ったときなんて、空港からは当然のようにタクシー移動。
「地下鉄?無理無理!」と心のシャッターを下ろしていたタイプです。
それを思うと、スマホ片手にメトロを乗り継いで目的地にたどり着いた息子、なかなかやるじゃないかと素直に思いました。
ところが
宿泊先のホテルで、ちょっとしたハプニングがありました。
息子は歯科矯正の器具を使っているのですが、朝食のときに外したそれを、なんと食器と一緒にテーブルに置き忘れてしまったのです。
慌ててホテルのスタッフさんに探してもらい、すぐに妻にも連絡。
この矯正器具、なくしてしまうと再製作に数ヶ月かかる可能性がある大事なもの。
でも妻は、慌てるでも怒るでもなく、
「仕方がない」と一言。
ホテルにこちらから電話をかけ、
「もしチェックアウト後に見つかったら送ってください。なければ諦めます」
と、さらりと対応したそうです。
この落ち着き、母は強し、です。
結果、チェックアウトぎりぎりで無事発見。
息子は安堵し、ホテルの方々にも深く感謝。
スタッフさんが本当に一生懸命探してくださったそうで、その対応には頭が下がります。
実は、私たちの片づけの現場でも、お客様が必要なものをうっかり捨ててしまって処理場の中を探すことがあります。
見つかる時もあれば、見つからない時もある。
先日は自転車を届けたこともありました。
「いや、間違うレベルじゃないでしょ!」とツッコミを入れながら(笑)、それでも“見つかった”時のあのホッとした顔、忘れられません。
失敗って、その瞬間は焦るけど、あとから振り返るとちょっと笑えて、いい思い出になったりします。
息子の小さなハプニングも、きっとその一つになるのでしょう。
こうやって少しずつ、親の手を離れていくんだなぁと、ちょっとしみじみした夜でした。
今日のブログは、家族それぞれの小さな旅の話。
息子は推し活で横浜へ、妻と末の娘は仙台へお買い物。
そして、お留守番の私はというと、会社に行って、思いっきり仕事です。
仕事といっても、現場ではなく書類の整理。
ここ30年分の紙の書類をひっくり返して、分類・整理・目録づくり。
データ化の下準備で、まるで“タイムカプセル”を開けているようでした。
実はこの作業、休みの日じゃないとできないんです。
誰もいない静かな事務所で、思いっきり書類を広げて黙々と整理する。
これがもう、楽しくて仕方がない。
仕事というより、半分趣味みたいなもの。
膨大な書類たちが、少しずつ整理されていくその過程が、たまらなく気持ちいいんです。
それでも時間との戦いで、精度を上げていくには、何度も繰り返し手を入れていく必要がある。
だけど、その繰り返しすら、私にとってはちょっとした楽しみだったりします。