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久々に消防団の訓練に参加した。
下駄箱の奥から20年ほど前に支給されたゴム長靴を引っ張り出して履いてみると、案の定ゴムが劣化して大きな穴が空いていた。活動服も同じく20年前の支給品。当時「歳をとるとウエストがきつくなるから大きめにしておけ」と言われて選んだズボンは、いまだにブカブカのまま。けれど今の大きめシルエット全盛時代には不思議と合ってしまう。
現場では、同級生が三人も顔を出していた。中学時代の先輩や後輩の顔もあった。ほんの数年しか一緒に過ごしていないのに、容姿はすっかり変わっていても見れば分かる。記憶と今とが自然に重なって見えるのが面白い。地域で何かが起こったとき、こうして共に動ける仲間がいることが、なんとも頼もしく思えた。
訓練のあと、上の方から「昼飯代」として1,000円を手渡された。それを握りしめ、40年近く当社でごみ収集をさせてもらっている食堂へ向かう。ご夫婦で切り盛りするその店は、たぶんもうすぐ80代。それでも現役で鍋を振っている。鶴岡には、こうした“現役世代”の店がまだまだ息づいている。
今日の厨房では、見慣れない70代くらいの男性が皿を洗っていた。親方に「〇〇さん、ご飯盛って」と声をかけられていたからアルバイトらしい。けれどレザーのボディーバッグを首から下げ、グレーのポロシャツを着たその姿は、どう見ても旅人にしか見えなかった。映画のワンシーンのようで、思わず笑ってしまう。
この店では、アラフィフの私を「あんちゃ(お兄さん)」と呼んでくれる。その響きが若い頃は小馬鹿にされているようで嫌だったが、この頃は心地いい。
若いころには気づけなかった安心や、ありがたさや、可笑しみ。
年を重ねるというのは、まんざらでもない。おばあちゃんが旅行から帰るたびに口にしていた「人を見に行ったようだった」という言葉。まさに今日の万博はその通りだった。
たった一日で、10年分くらいの人を見た気がする。
本日の来場者は15万人。入場ゲートにたどり着くまで1時間並び、さらにパビリオンでも予約待ち。まるで「並ぶ」こと自体が体験のひとつになっているかのようだった。
まずは会場をぐるりと囲む大屋根リングを散歩して、ざっくりと世界観を把握。スギやヒノキをふんだんに使った巨大な木造建築は、それだけで一つのパビリオンのようだ。木漏れ日の下を歩いていると、どこからかヒノキの香りが漂い、まるでいい感じの温泉旅館にでも居るような気分になる。結構歩いたように感じたが、万歩計は二万歩には届かなかった。
お目当ては「Blue Ocean Dome」。海洋ゴミをテーマにしたこのパビリオンは、説明文や解説は一切なく、映像と音楽だけで体験させてくれる。余計な情報がない分、海の静けさや異様さがダイレクトに胸に迫り、素晴らしい展示だった。
いま世界でリサイクルされているプラスチックはわずか9%。そして私たちは一週間でクレジットカード1枚分のプラスチックを体内に取り込んでいるとも言われている。数字だけでは掴めなかった事実が、あの暗い海の映像とともに、よりリアルな感覚となって残った。
明日は来場者が16万人に達する見込みで、開催終了に向けてさらに人の数は増えていくという。明日は鶴岡に帰る。それにしても台風が心配だ。
中学生の頃、担任の先生が言った言葉を思い出す。
「鶴岡は日本で一番、雷が多い地域なんだぞ」
あの頃の私は、なぜだか少し誇らしい気持ちになった。雷が多いことが、この町の特別な証のように思えたのだ。
それから三十年。雷は変わらず多いけれど、この頃は雨の降り方まで変わってきた気がする。降り出したと思ったら、あっという間に川のようになり、今年の夏はとうとう工場まで二度も冠水した。雨雲が近づくたびに、心がそわそわする日が続いている。
けれど幸いなことに、うちには吸引車がある。ピットに溜まった雨水もきれいに汲み上げることができるし、今日のように急なゲリラ豪雨が来ても、スタッフのみんなは当たり前のように土嚢を積んでいた。誰かが指示するわけでもなく、自然と動いてくれる。その姿を見ると、胸の奥がふっと温かくなる。
サイレンが鳴ったり大雨が降り出したりすると、なぜだか血がさわぐ。そんな自分がおかしい。築17年のわが家。ずっと使ってきたレースのカーテンが、この夏の光に少し黄ばんで見えた。朝日を受けるたびに、古びたレース越しの景色がどこか懐かしいセピア色をまとっている。
新築の頃は、カタログを隅から隅まで眺め、プロにも相談してやっと決めたカーテンだった。色や生地、光の透け方まで、こだわり抜いて選んだのを覚えている。それだけに、取り替えることには抵抗があった。
けれど今回は違った。ネットオーダーで「迷ったらこれ」にチェックが入っていた、ごく普通の無地のレース。届いた新品のオフホワイトをかけた瞬間、部屋の空気が一気に洗濯されたみたいに澄み、どこか品格まで上がった気がした。
家も人も、歳を重ねたからこその良さがある。壁の落書きや小さな傷だって、時間が刻んだ物語だ。そこに手を入れず残すものがある一方で、こうして入れ替えることで気づくこともある。
今では、こだわりに振り回されることもない。なんの変哲もないレースのカーテンが、いちばんしっくりくる。こだわりを手放したら、人生は少しだけ軽やかになった。無地のカーテンと一緒に。朝9時、街を走る車の窓から見えたのは、一軒の精肉店に続く長蛇の列。鶴岡ではなかなか見ない光景に、思わずハンドルを切りそうになった。そうか、今日は29日、肉の日か。
その瞬間、私の脳裏に浮かんだのはダチョウ倶楽部の寺門ジモンさんだった。芸能界一の肉通として知られる彼は、還暦を過ぎても焼肉で胃もたれしたことがないという。
ジモンさんは言う。脂はちゃんと焼けばパリッと仕上がり、むしろもたれないのだと。肉の質、包丁の入れ方、焼き方。どれもがそろって初めて、一枚の肉は芸術品になる。私のようにカルビを一気にかき込んで翌日後悔するのとは、まるで対極にある世界だ。
そんなジモンさんは、骨董品や時計などのコレクションでも知られている。だが彼はこう語る。
「いい物というのは、手に入れて倉庫に鍵をかけて終わり。結局、預かっているだけなんだよ」
確かに、コレクションは所有の喜びで完結する。いつかは誰かの手に渡る運命を持ち、持ち主は守り人でしかない。
ところが食べ物は違う。目で見て、香りを楽しみ、口に運び、身体に取り込み、自分の一部になる。所有ではなく、体験として完結する唯一の存在なのだ。
還暦を過ぎても肉を愛し、胃もたれ知らずでいられるのは、ジモンさんがこの“完結する体験”を人生の楽しみとして大切にしているからなのだろう。