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当社ではここ数年かけて、事務所の書類をすべて見直してきた。
棚にあるもの、倉庫にあるもの、個人の机の中にあるもの。
部署ごと、担当ごとに分かれていた書類を一度すべて集め、出して、確かめ、分類し直す。
いわば、事務所の「総点検」だ。
全部を取り出して、確かめる作業。
正直に言えば、気が遠くなる。
ファイルを開けては閉じ、束をほどいては分け、また戻して、また迷う。その繰り返しだ。
整理そのものは、根気さえあれば完成する。
やることは単純だ。出して、分けて、決めて、戻す。
時間はかかっても、手を動かし続ければ、必ず終わりは来る。
それでも、ここまで来るのに6年かかった。
やっと、ゴールが見えてきた。
長かったのは、作業ではない。
書類は、ただ黙ってそこにある。責めもしないし、主張もしない。
立ちはだかるのは、いつも人だ。
私たちは、つい書類を「自分のもの」にしたがる。
自分の引き出し、自分のフォルダ、自分しか分からない場所。
それは責任感でもあり、愛着でもあり、ときに不安の裏返しでもある。
しかし、仕事の書類は、本来、誰かの所有物ではない。
みんなで使う情報資源だ。
末の娘の高校受験が近づいている。
学校でも面接練習が始まっていて、
どうやら娘は「模範的な回答」を一生懸命、覚えているらしい。
もっと長く話した方がいいと先生に言われたそうだ。
先生の本意が本人に伝わっているのかは、正直あやしい。
けれど、とにかく長く話せるように頑張っているようだ。
そんな流れで、
家でも「面接官役」を仰せつかることになった。
これまでも、何人かの子どもたちにやってきた。
小林家の面接練習は、ノックして入室するところから始まる。
そこだけは、なぜか本格的だ。
「どうぞ」
と言うと、娘は少し緊張した顔で入ってくる。
……が、照れ隠しか笑ってできない様子。
聞くと、
昔、上の子たちの練習のとき、
なぜだか分からないが、私は大声で怒ったことがあるらしく、それで子供達みんなで隠れた記憶が蘇ったらしい。
私はまったく覚えていない。
けれど子どもたちは、そういう場面だけ、よく覚えている。
気を取り直して面接練習スタート。
質問を投げると、
教科書みたいな言葉が返ってくる。
明らかに目が泳いでいて、
暗記した文章を声に出しているだけで、どうにも心がない。
「……それ、本当にそう思ってる?」
と聞くと、娘は少し間をおいて、
「思ってない」
と、正直に言った。
私は思わず笑ってしまった。
「自分の言葉で話せばいいんだよ。
志望理由が本当に思っているなら『制服が可愛かったから』でもいいんだよ」
そう言うと、娘は少し困ったような顔をして、
でも、もう一度、話し始めた。
さっきより短い。
言い直しも多い。
でも、さっきより、ずっといい。
内容じゃない。
正解でもない。
“その子が話している”感じが、ちゃんとあった。
面接試験の意図というのは分からない。けど見ているのはきっと
自分の言葉で、この場所に立とうとしているか。
それだけだと思う。
そしてこれは、
面接官役をしながら、ちょっと思った。
お片づけの現場に立っていると、ときどき首をかしげることがある。
なぜ、この家のボトルネックが見えないのだろう。
なぜ、打開策が立たないのだろう。
物の量の問題でも、収納の問題でもない。
明らかに流れが止まっている場所がある。
けれど話を伺っていくと、いつの間にか全く関係のない「自分はこういう人間で」という話になり、できない理由が次々と積み上がっていく。
この光景は、業務改善の現場とまったく同じだ。
工程の話をしているはずなのに、性格の話になり、忙しさの話になり、昔話になる。
現象は語られるのに、構造には触れられない。
人は不思議なほど、同じ場所で滞り、同じ場所でつまずく。
話を聞きながら、ときどき思ってしまう。
本当に見えていないのだろうか。
それとも、見ないようにしているのだろうか、と。
ボトルネックが見えた瞬間から、現実は動き出す。
決めなければならないことが生まれ、変えなければならないことが現れる。
自分のやり方に手を入れる必要が出てくる。
人はそれを、本能的に知っているのかもしれない。
だから話は、自称に流れる。
事情に流れる。
できない理由に流れる。
けれど、お片づけも業務改善も、突き詰めればとてもシンプルだ。
変えられるのは、自分しかいない。
ここに気づいたとき、世界の見え方が変わった。
そして同時に、これはとても楽しいことだとも思った。
自分の頭で考える。
小さく動いてみる。
置き場を変える。
聞き方を変える。
順番を変える。
すると必ず、何かが起こる。
部屋が変わらなくても、会話が変わる。
会話が変わらなくても、見え方が変わる。
見え方が変われば、次の一手が生まれる。
動けば、必ず変化は起こる。
多くの人が欲しがるのは「答え」だ。
正解が欲しい。
これをやればうまくいく、という地図が欲しい。
けれど現場に立っていると、はっきりしてくる。
答えなんて、いつも変わっていく。
暮らしが変われば、正解も変わる。
会社が変われば、やり方も変わる。
自分が変われば、見える世界が変わる。
昨日の答えは、今日の前提にはならない。
だから私は、答えを出して終わりにしたくないと思っている。
答えを出して、思考を止めるな。
答えは仮置きでいい。
それよりも、動き続けること。
試し続けること。
変化を起こし続けること。
お片づけも、業務改善も、経営も、暮らしも、
必要なのは「正しさ」より「動き」なのだと思う。
動かせる自分でいること。
更新できる自分でいること。
必要なのは、答えではない。
変化だ。
高1の息子と楽器屋に言った。ベースを買うためた。
私は高校一年のときにギターを始めた。
だから、息子が高校の音楽クラブでベースをやりたいと言った時、始めるには、いいタイミングだと思った。
二人で楽器屋へ行き、壁一面に並ぶギターやベースの前に立つ。息子は急に無口になり、目だけが忙しく動く。何本か触るうちに、一本、やけに手に馴染むものがあった。
値札を見る。
……予算の二倍。
ん〜どうしよう。
一旦、家に帰ろう。
ショップにいると、冷静な判断ができなくなる。これは自分の経験でよく知っている。
家に戻り、妻に相談する。三人で話す。すると息子が、「俺も出す」と言って、貯めていた虎の子を出すと言う。
私はこれまで、何を手にするかで、その後の取り組みが変わる場面を何度も見てきた。
「一本目は妥協するな」
これは、一本目に限った話ではないのかもしれない。
予算も、分相応も、もちろんある。
その中で妥協すると、それは後悔になる。
とくに、趣味の物なら、なおさらだ。
それで、決めた。
一本目にしては、かなり上等なベースを手に入れた。
家に帰ってアンプにつなぐ。
ぼん。
低くて、丸い音。
ここからだな、と思った。
チューニングメーターの使い方、アンプのセッティングやフォームを軽く教える。私がギターを始めた頃は、チューニングができて音が出るようになるまで一か月かかった。それが息子は一時間。
息子の学校で出された課題曲は、モンゴル800の「小さな恋のうた」だという。
発表は、一か月後。
それを見ていた末の娘が言った。
「私、ドラム買ってほしい。」
……なるほど。
うれしい悲鳴、というやつかもしれない。
このベースが、埃をかぶって、しまい込まれるか。
それとも、一生の趣味になるのか。
それは、まだ分からない。
私もかつて、父に連れられて、仙台の楽器屋でギターを買ってもらった。
その日のことを、私は今でもはっきり覚えている。
今日が、息子にとっても、
そんな一日になってくれたらと思う。
今日は、市役所と税務署に行った。
用事自体は、よくある事務的なものだ。
けれど建物に入った瞬間、手続きより先に、ある風景が目に入った。
多い。とにかく高齢の方が多い。
椅子に座り、番号札を握り、窓口を見つめている背中が並んでいる。
「こちらはLINEで登録していただいて、予約してからになります」
「マイナンバーの暗証番号、分かりますか?」
窓口の向こうで、担当の方がやさしい声で聞いている。
もちろん、高齢の方は分かっていない。
それは怠けているからでも、努力が足りないからでもない。
ただ、その仕組みが、その人の人生の速度と噛み合っていないだけだ。
後ろを見ると、列はどんどん伸びている。
誰も怒っていない。
誰もサボっていない。
みんな真面目で、ちゃんとしようとしている。
だからこそ、そこに漂っていたのは苛立ちではなく、
全員が、少しずつ気の毒な空気だった。
印象的だったのは、説明している担当者の方の表情だ。
彼は相手にこの情報が伝わっていないことを理解している。
私たちも、高齢者の依頼者が多い。
中には、自分の住所が言えない人もいる。
カレンダーに書いてある電話番号を見て、
「これ、何の番号だったかな」と言いながら、
粗大ごみの依頼を忘れて電話を日に何度もかけてくる人もいる。
誰かの助けがないと、
もう手続きどころか、
日常そのものが成り立たない人たち。
そしてその「誰か」は、
家族だったり、近所の人だったり、
ケアマネさんだったり、
そして時々、私たちだ。
実は私自身も、電子申請にチャレンジはする。
けれど結局、紙で出していることが多い。
正直に言えば、それが本物なのか、詐欺なのか、
一瞬わからなくなることもある。
分かっていない人。
分からせられない人。
ついていこうとしている人。
今日の窓口は、これからの社会の仕事風景そのものだった。
仕組みが先に進み、
人の速度が、少し遅れている。
その間に立って、
今日も誰かが、説明し、聞き、支えている。
便利で気の毒な社会だ。