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今日のブログは、家族それぞれの小さな旅の話。
息子は推し活で横浜へ、妻と末の娘は仙台へお買い物。
そして、お留守番の私はというと、会社に行って、思いっきり仕事です。
仕事といっても、現場ではなく書類の整理。
ここ30年分の紙の書類をひっくり返して、分類・整理・目録づくり。
データ化の下準備で、まるで“タイムカプセル”を開けているようでした。
実はこの作業、休みの日じゃないとできないんです。
誰もいない静かな事務所で、思いっきり書類を広げて黙々と整理する。
これがもう、楽しくて仕方がない。
仕事というより、半分趣味みたいなもの。
膨大な書類たちが、少しずつ整理されていくその過程が、たまらなく気持ちいいんです。
それでも時間との戦いで、精度を上げていくには、何度も繰り返し手を入れていく必要がある。
だけど、その繰り返しすら、私にとってはちょっとした楽しみだったりします。
今朝、いつものように朝食をとっていると、末の娘が颯爽と起きてきた。
普段は私が出勤する頃になっても布団の中でぬくぬくしているのに、テスト期間でも総体の朝でも早起きしなかった娘が、なぜ今日はこんなに早いのか。
不思議に思って「どうしたの?」と声をかけると、ノイズキャンセリングのイヤホンをしっかり装着して、見事なスルー。
妻も同じように首をかしげ、娘の口からこぼれる小さな声を盗み聞きしてみると……どうやら今日は「卒業アルバムの写真撮影」があるらしい。
なるほど、それで朝からコンディションを整えていたのか。
もちろん髪型は校則の範囲内、メイクは禁止。
娘としては「校則ギリギリの美しさ」を狙う作戦らしい。
普段はスマホで撮る“盛れた”写真に慣れきっている世代。
アルバム写真にはもちろん加工(少しはしていると思うけど)なんてない。
盛った写真より、素顔が残るこの一冊を、いちばん楽しみにしている。
現在ダイエット中です、我が家の犬が。
獣医さんのところで「太り過ぎ!」と厳重注意を受け、
このままだと長生きできないよ!と言われ、本気でダイエットに取り組んでいます。
犬種はペキニーズ。もうシニア犬なんですが、とにかく散歩が大嫌い。
子犬の頃からリードを取り出すと、ソファの下に隠れて出てこない。
散歩の嫌いな犬なんているのだろうか…と、毎回首をかしげています。
そのくせ、私たちが食卓を囲むと、椅子の下にぴったり張りついて、
目をパチクリさせながら「何かちょうだい!」とアピール。
あの目で見つめられると、つい何かあげてしまう。
もらえないとわかるまで、何度でもおねだりを繰り返すのです。
「散歩嫌い × おねだり上手 = 肥満」
……結果は言うまでもありません。
獣医さんやトリマーさんに聞くと、
どんなに注意しても“可愛さ”に負けてしまい、
ダイエットが続かずにヘルニアになってしまう子も多いのだとか。
思えばこれは犬に限った話ではないのかもしれません。
子育ても、人との関係も、
愛情のかけ方を間違えると、
それは相手の「幸せ」から遠ざかってしまう。
本当にその人(犬)の幸せを願うなら、
ときには「可哀そう」と思う気持ちをぐっとこらえて、
長い目で見た“幸せの形”を信じてあげることが、
いちばんの愛情なのかもしれません。
最近、意識していることがあります。それは「心を柔らかく」ということ。
どうも自分の心(いや、思考というべきか)は意外と頑固で、知らず知らずのうちに先入観や思い込み、決めつけに縛られているようです。
「きっとこれはこういう意図があるに違いない」
「この言葉の裏には何か意味があるはずだ」
そんなふうに、まっすぐ素直に物事を受け取ることができない。
一言言いたくなるけれど、実際に口にするわけでもなく、ただ一人でモヤモヤしている。
そして、そのモヤモヤを何とかしようと言葉を発したとしても、結局それは自分も相手も幸せにしない。
自分を正当化したくなることに、何の徳もないはずなのに、なぜか「自分は正しい」と証明したくなる。
不思議なものです。けれど、きっとそれが人間というものなんでしょう。
そんな自分の心の癖に気づいたとき、ふと思いついたのが“ゴムボールのような心”というイメージ。
イライラやモヤモヤが生まれたとき、心がゴムボールだと想像してみるんです。
すると、相手とぶつかっても、衝撃を吸収して、やわらかく返すことができる。
「負けるが勝ち」というよりも、そこにはもはや勝ちも負けもない。
ただ、自分のつまらぬこだわりや小さなプライドから解放されるだけ。
それだけで、驚くほど気持ちが軽くなるから不思議です。
心を柔らかく
それは、他人に優しくするためだけじゃなく、自分を少し楽にしてあげるための魔法の言葉かもしれません。
こんな話を聴いた。
苦難というのは、「我よし」の是正であると。
「我よし」とは、わがままのこと。
自分の思い通りにしたい、自分が楽をしたい、認められたい——。
そんな思いが心の奥に積もると、いつしか私たちは、自分の都合でしか世界を見られなくなる。
その我を正そうとする働きこそが、苦難だと思う。
人は、苦しみから逃れたいと願う。
けれど、苦難は“罰”ではない。むしろ、“磨き”だ。
その中で「このままではいけない」と心の底から願ったとき、
奇跡は静かに起きはじめる。
奇跡とは、外から舞い降りるものではなく、
内から湧き上がる「変わろうとする力」なのだ。
人は切羽詰まらなければ、本気になれない。
刀の付け根にある“切羽(せっぱ)”は、刃と柄をつなぐ小さな金具。
ここが詰まりすぎると、刀は抜けない。
人もまた、思い込みや我が強すぎると、動けなくなる。
ほんの少しの“遊び”余白があるからこそ、刀は抜け、心も動く。
余白とは、他人を思いやるスペースであり、自分を省みる静けさでもある。
奇跡がなかなか起きないのは、
私たちがその余白を失ってしまうからだ。
我を手放し、心の純度が高まるとき、
世界はそっとこちらに歩み寄ってくる。
その瞬間を人は“奇跡”と呼ぶのだろう。
奇跡は遠くの出来事ではない。
それは、切羽の先——
我を削ぎ落とし、心に余白を残したその静かな瞬間にこそ、
確かに息づいている。