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今日は習字の練習日だった。
師匠から、ありがたくも初段合格のお祝いの筆を頂き、すぐ使わせてもらった。
弘法筆を選ばず、と言う。名人は道具のせいにしない、という意味の言葉だ。
逆に言えば、もう筆のせいには出来ない。
師匠からこんな素敵な筆を頂いてしまった以上。
とはいえ、この筆がまた書きやすい。
ずっしり重みがあり、毛先がしなやかだ。ミニバンからスポーツカーに乗り換えたような、ハンドリングの楽しさがある。線を引くと、筆がスッと進み、止めいたいところで止まった。
字は正直だ。
調子のいい日は、それなりの線になる。
気が散っている日は、それなりに出る。
ハンドリングがいい分、悪い癖なんかもそのまま出てしまうだろう。
練習を終えて帰る道すがら、冬物のセール、モアセール開催中の案内がメールに何通も届く。
狙っていたコートは結局セールにはならなかったが、思い切ってポチッと買うことにした。
これまで似合わないと思って、避けてきた色と形だ。
習字の目標と共に、こちらも今年の目標に入れていたものだ。
変化を楽しめる春が待ち遠しい。
面白い記事を読んだ。
近年、ご飯にかける「ふりかけ」の消費量は増えているのに、肝心の「米」の消費量は減っているという。物価上昇や節約志向を背景に、ふりかけ市場は拡大し、販売額は過去最高。一方で、白米そのものを苦手とする子どもも増えているらしい。
ふと、妙な感じがした。
本体に対する苦手から、ふりかけが求められているのか。
それとも、もはや「デフォルトがふりかけ」なのか。
本来は、白米があって、ふりかけがある。
ふりかけは、味を足すものというより、引き立てるものだったはずだ。
けれど使い方次第では、白米の味を感じなくさせてしまう。
それにしても、「本体」が軽んじられていく感じは、どこか他人事ではなかった。
自分自身も、ときどきそんなふうに感じることがある。
役割、肩書き、情報、評価、常識。
日々の暮らしの中で、私たちは無数の“ふりかけ”を浴びている。
気づけば、それがないと味気なく感じる。
けれど本当は、自分の中にも、ちゃんと味はあるはずなのに。
白米が、うまい。
そう感じる瞬間は、たしかにある。
噛むほどに甘みが出て、湯気の匂いと一緒に、身体に沁みてくる。
あの感覚を、私は確かに知っている。
それなのに、日常に戻ると、その感覚をすぐ忘れてしまう。
味がなくなったのではなく、味わわなくなっている。
現代人は、私も含めて、そこが一番鈍っているのかもしれない。
だからこそ、そこに気が付くこと。
目を向けること。
翻って、着飾るよりも、自分磨き。
足す前に、噛む。
盛る前に、味わう。
今日の白米を、ちゃんと噛んでみようと思う。
人は、決めつけて楽になりたい生き物だと思う。
世の中はこういうものだ、自分はこういう人間だ、今日はこういう一日だ。そうやって世界にラベルを貼ると、考えなくて済むし、少し安心もする。
けれど、その決めつけが、あとから自分を苦しめることがある。
世界が狭くなったり、身動きが取れなくなったり、同じところで何度もつまずいたりする。
守るために作った見方に、縛られているような感覚。
それが、最近よく考えている「マインドセット」というものなのかもしれない。
おっかない言葉だと思う。
前向きとか、成長とか、軽やかに語られるけれど、本当はもっと深いところで、ものの見え方そのものを決めてしまう装置だ。
しかも本人は、それを「考え方」だとは思っていない。「現実」だと思っている。
じゃあ、それに気づく瞬間って、どんな時なんだろう。
考えて答えが出るものでもなさそうだ。
むしろ、身体が先に動いたとき。
管理が外れたとき。
そんなことをぼんやり思いながら、今日から一つだけ実験をしてみることにした。
早起き、ではなくて、正確には「二度寝をやめる」。
目覚ましが鳴ったら、考えずに起きる。
パッと起きて、布団から出る。
二度寝って、ほんの数分だけど、あの中には「まだ現実に入らなくていい」という小さな逃げ場がある。
昨日の続きに戻る場所。
もう分かっている世界に引き返す場所。
そこを使わずに、一気に起きる。
それはたぶん、健康法というより、態度の問題で。
今日がどんな一日か決める前に、世界の側に立ってみる、ということ。
起きた直後の部屋の温度。
外の暗さ。
音の少なさ。
マインドセットを「変える」なんて大それたことはできないけれど、
マインドセットが動き出す前の時間に、そっと立ってみることはできるかもしれない。
二度寝をやめる。
それだけのことで、世界の入り口の質感が、少し変わる気がしている。
令和七年一月一日。
私は七つの目標を立てた。
手帳の最初のページに書いたそれらは、正直に言えば、かなりぼんやりしていた。
「こうなったらいいな」という願いと、「たぶん簡単ではない」という予感が、同じ行に並んでいた。
あれから一年。
いや、正確には一年と少し。
その中のひとつが、今日、ようやく“工事”という形になって動き出した。
目標というのは不思議なもので、立てた瞬間には何も起きない。
けれど、頭のどこかに居座り続ける。
新聞記事が急に目に入るようになり、人の話が引っかかるようになり、「たまたま」の顔をした情報が集まり始める。
動き始めてからは早かった。
埼玉へ走り、名古屋へ走り、
会って、聞いて、断られて、また聞いて。
期待して落ち込んで、
「やっぱり無理かもしれない」と何度か思った。
正直、一度は諦めかけたプロジェクトでもある。
現実はいつも、理想より重たい。
数字も、制度も、距離も、簡単には越えさせてくれない。
それでも、不思議と完全には手放せなかった。
そのたびに誰かが言葉をくれた。
具体的な助言だったり、
「面白いですね」という一言だったり、
黙って話を聞いてくれる時間だったり。
自分ひとりだったら、たぶん終わっていたと思う。
多くの人の励ましとサポートに押されるようにして、
気づけばプロジェクトは、現実の輪郭を持ちはじめていた。
そして今日、工事が始まった。
まだ完成ではない。
むしろ、ここからが本番なのだと思う。
しかもこれはゴールではない。
新しい夢を実現するための、ひとつの足掛かりにすぎない。
構想は現場になり、
現場は、次の構想を呼びはじめている。
達成率で言えば、99%くらいだろうか。
残りの1%は、たぶん怖さだ。
本当に形になる瞬間を迎えるときの、あの独特の緊張。
でも今は、それも含めて、ちゃんと味わいたいと思っている。
ぼんやりした目標でもいい。
立てて、忘れずに、動き続けていれば、
人に出会い、場所に出会い、現実が追いついてくる瞬間がある。
今日は、その途中経過の記録として。