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今日は末の娘の高校の入学式に参加してきた。
いつもは家の中でいちばん遅く起きるのに、この日ばかりは誰よりも早く起きていた。鏡の前で髪を整えたり、顔のあれこれに時間をかけたりしている様子が、なんとも微笑ましい。
出発前、Yシャツの腕のボタンが留められないと言って、こちらに腕を差し出してきた。
袖口のボタンを留めてやると、今度はボタンダウンの襟のボタンも、と言ってまた少し身を寄せてくる。
少し前までは当たり前だったその仕草が、今日は妙に印象に残った。こうして頼られる時間も、もうそう長くはないのだろうなと思う。
昨日は兄からネクタイの結び方を教わっていたそうだという。そう聞いて、ああ、そういえば彼にも同じことを教えたなと思い出した。時間というのは不思議なもので、同じ場面が少し形を変えて何度も巡ってくる。
出発前にぽつりと、
「友達できるかなー」
と言うところまで、兄とまったく同じだった。
そのときも同じように思ったものだが、それはきっと、いらぬ心配というやつだ。子どもたちは親が思うよりずっと軽やかに、新しい場所に根を張っていく。
会場で周囲の父母に目を移すと、どこか成人式のような風情があった。末の子ともなると、父母としては上の年齢層なのかもしれない。
まわりの父母が、どこか若く見えた。
しかもよく見ると、長髪、金髪、髭、ハット。親の校則違反がなかなか目立つ(笑)。
娘はと言えば、式が始まる頃には、初めて見る顔のクラスメイトともう親しげに話していた。やはり心配無用のようだった。
見送る背中を眺めながら、ああ、大丈夫だなと思う。
土曜日の営業を休みにしてから、月曜日の忙しさが凄まじい。
朝から電話は鳴りっぱなし。
持ち込みのお客様も長蛇の列で、受付の前には車が途切れない。
これまで土曜日に分散していた仕事が、そのまま月曜日に集まってきたのだと思う。
年間休日を100日から114日に増やすと決めたとき、頭では理解していたつもりだった。
けれど現場の変化というのは、こうして音や空気の密度としてやってくる。
そんな日は私も受付に立ってレジを打つ。
とはいえ慣れているわけでもないので、どうにも手元がもたつく。
特にテレビや冷蔵庫などのリサイクル家電は、メーカーや大きさによって料金が違い、しかも何の都合か頻繁に変更になる。確認しながらの対応になるので、どうしても時間がかかってしまう。
後ろに列ができているのが気になりながら、「少々お待ちください」と言うしかない。
個人・法人、現金・PayPay・クレカ・伝票掛売り、もたつくおじさんである。
それでも、お客様は静かに待ってくださる。
ありがたいことだなと思う。
休みを増やすというのは、単に楽になるという話ではない。
働き方を変えるということは、仕事の流れそのものを組み替えることなのだと改めて感じている。
しばらくは月曜日が忙しいだろう。
けれど、この変化の先に、持続できる働き方がある。
今日も受付の前には列ができている。
私は相変わらず少しもたついているが、それもまた会社が変わっている途中の風景なのだと思っている。
とにかく1ヶ月で使い物になる受付を目指す。
5年日記の3冊目。その2周目に入った。
つまり12年目に突入したということになる。
続けていると面白いのは、これまでの自分がすぐ隣にいることだ。ページを開けば、過去の今日の出来事や、その時に考えていたことが静かに並んでいる。「こんなことがあったな」と思い出す日もあれば、「こんなことを気にしていたのか」と少し他人のように読む日もある。
以前どこかで、時間というのはミルフィーユのように重なっている、と聞いたことがある。昨日の自分、去年の自分、10年前の自分。どれも消えてしまったわけではなく、層になって今の自分の中に残っているという話だ。
日記は、それを目に見える形にしてくれる。
ページを開くと、そこに確かに過去の自分がいる。しかも懐かしいというより、まだ体温の残ったままの距離でそこにいる。
人はよく「あの頃に戻れたら」と言うけれど、不思議な言葉だと思う。本当は戻らなくても、あの頃はちゃんと今の中にあるのだから。
迷っていた時期も
頑張っていた時期も
何も進んでいないように感じていた日々も
全部が重なって、今の自分をつくっている。
そう思うと、過去は遠くへ去っていくものではなく、静かに積み重なっていくものなのだと感じる。
どんなことがあっても、今が一番いいと感じられる自分でいられることが、なんと言ってもありがたい。
若い頃は未来のどこかに答えがある気がしていた。けれど今は違う。昨日までの自分を全部連れて歩いている「今」そのものが、一番確かな場所のように思える。
今日の一行もまた、新しい一枚として重なっていく。
今日もここから未来に手を振る。
失敗するのを恐れたらいかん。最近、そんなことをよく思う。
何かにチャレンジしようとする時、失敗は付きものだ。というより、最初からセットになっているものだと思う。コインの裏表のように、成功と失敗は一緒に存在している。
若い頃はそれがよく分からなかった。失敗しない方法を探したり、できるだけ恥をかかない道を選ぼうとしたりしていた気がする。しかし人間を50年もやっていると、だんだん見えてくるものがある。失敗は避けるものではなく、集めるものなのだ。
むしろ、失敗が満員御礼になるくらい集まらないと、その先にある成功には辿り着けない。成功というのは、突然現れるものではなく、失敗という小さなピースが一つひとつ埋まっていくことで形になるものなのだと思う。
年齢を重ねるほど、失敗が怖くなる。恥をかきたくなくなる。立場もでき、守るものも増えるからだ。
けれど本当は逆なのだろう。
失敗の意味が分かる年齢になった今こそ、もう一度チャレンジしていい。
さて、令和8年も思いっきり恥をかこうか。
カレンダーを見て、しみじみ思う3月31日。
これまで何度も迎えてきたはずの日なのに、今年は少し違う気持ちでこの日を眺めている。
令和7年度。
働いたなあ、と思う。
もちろん24歳から四半世紀、ずっと働いてきた。今さら何をと言われるかもしれない。それでも今年は、「よく働いた」と自分で自分に言ってやりたくなる一年だった。
振り返ってみると、会社のスタッフのために働いた一年だった気がする。
その感覚は不思議と、24歳、社会人一年目の頃とどこか似ている。
あの頃は、とにかく役に立ちたかった。
迷惑をかけていないか。少しでも誰かの仕事が楽になっているか。そんなことばかり考えていた。
「働く」という言葉は、「傍を楽にする」とも言われる。語源として正しいかどうかはさておき、とても好きな解釈だ。誰かの側を楽にすること。それが働くということなのだとしたら、今年は確かに働いた一年だったと思える。
社長になってからは、つい会社の未来や数字ばかりを見がちになる。
売上や利益、仕組みづくり、新しい挑戦。どれも大切なことだ。
けれど今年に限って言えば、少し違った。
目の前にいるスタッフが安心して働けているかどうか。そのことを一番に考えていた気がする。
では――社長の成績表は如何に。
数字で見れば、きっといろいろある。反省も課題もある。
それでももし評価の基準が、「傍を楽にできたかどうか」だとしたら、この一年は悪くなかったのではないかと思っている。
カレンダーの上の3月31日を眺めながら、そんなことを静かに考えている。
また新しい一年が始まるけれど、できれば来年の今日も同じように、「よく働いた」と言えたらいいなと思う。
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