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| 電話対応 | 8:00〜12:00/13:00〜17:00 |
| 定休日 | 日・祝・土曜不定休・年末年始 |
土曜日の営業を休みにしてから、月曜日の忙しさが凄まじい。
朝から電話は鳴りっぱなし。
持ち込みのお客様も長蛇の列で、受付の前には車が途切れない。
これまで土曜日に分散していた仕事が、そのまま月曜日に集まってきたのだと思う。
年間休日を100日から114日に増やすと決めたとき、頭では理解していたつもりだった。
けれど現場の変化というのは、こうして音や空気の密度としてやってくる。
そんな日は私も受付に立ってレジを打つ。
とはいえ慣れているわけでもないので、どうにも手元がもたつく。
特にテレビや冷蔵庫などのリサイクル家電は、メーカーや大きさによって料金が違い、しかも何の都合か頻繁に変更になる。確認しながらの対応になるので、どうしても時間がかかってしまう。
後ろに列ができているのが気になりながら、「少々お待ちください」と言うしかない。
個人・法人、現金・PayPay・クレカ・伝票掛売り、もたつくおじさんである。
それでも、お客様は静かに待ってくださる。
ありがたいことだなと思う。
休みを増やすというのは、単に楽になるという話ではない。
働き方を変えるということは、仕事の流れそのものを組み替えることなのだと改めて感じている。
しばらくは月曜日が忙しいだろう。
けれど、この変化の先に、持続できる働き方がある。
今日も受付の前には列ができている。
私は相変わらず少しもたついているが、それもまた会社が変わっている途中の風景なのだと思っている。
とにかく1ヶ月で使い物になる受付を目指す。
5年日記の3冊目。その2周目に入った。
つまり12年目に突入したということになる。
続けていると面白いのは、これまでの自分がすぐ隣にいることだ。ページを開けば、過去の今日の出来事や、その時に考えていたことが静かに並んでいる。「こんなことがあったな」と思い出す日もあれば、「こんなことを気にしていたのか」と少し他人のように読む日もある。
以前どこかで、時間というのはミルフィーユのように重なっている、と聞いたことがある。昨日の自分、去年の自分、10年前の自分。どれも消えてしまったわけではなく、層になって今の自分の中に残っているという話だ。
日記は、それを目に見える形にしてくれる。
ページを開くと、そこに確かに過去の自分がいる。しかも懐かしいというより、まだ体温の残ったままの距離でそこにいる。
人はよく「あの頃に戻れたら」と言うけれど、不思議な言葉だと思う。本当は戻らなくても、あの頃はちゃんと今の中にあるのだから。
迷っていた時期も
頑張っていた時期も
何も進んでいないように感じていた日々も
全部が重なって、今の自分をつくっている。
そう思うと、過去は遠くへ去っていくものではなく、静かに積み重なっていくものなのだと感じる。
どんなことがあっても、今が一番いいと感じられる自分でいられることが、なんと言ってもありがたい。
若い頃は未来のどこかに答えがある気がしていた。けれど今は違う。昨日までの自分を全部連れて歩いている「今」そのものが、一番確かな場所のように思える。
今日の一行もまた、新しい一枚として重なっていく。
今日もここから未来に手を振る。
失敗するのを恐れたらいかん。最近、そんなことをよく思う。
何かにチャレンジしようとする時、失敗は付きものだ。というより、最初からセットになっているものだと思う。コインの裏表のように、成功と失敗は一緒に存在している。
若い頃はそれがよく分からなかった。失敗しない方法を探したり、できるだけ恥をかかない道を選ぼうとしたりしていた気がする。しかし人間を50年もやっていると、だんだん見えてくるものがある。失敗は避けるものではなく、集めるものなのだ。
むしろ、失敗が満員御礼になるくらい集まらないと、その先にある成功には辿り着けない。成功というのは、突然現れるものではなく、失敗という小さなピースが一つひとつ埋まっていくことで形になるものなのだと思う。
年齢を重ねるほど、失敗が怖くなる。恥をかきたくなくなる。立場もでき、守るものも増えるからだ。
けれど本当は逆なのだろう。
失敗の意味が分かる年齢になった今こそ、もう一度チャレンジしていい。
さて、令和8年も思いっきり恥をかこうか。
カレンダーを見て、しみじみ思う3月31日。
これまで何度も迎えてきたはずの日なのに、今年は少し違う気持ちでこの日を眺めている。
令和7年度。
働いたなあ、と思う。
もちろん24歳から四半世紀、ずっと働いてきた。今さら何をと言われるかもしれない。それでも今年は、「よく働いた」と自分で自分に言ってやりたくなる一年だった。
振り返ってみると、会社のスタッフのために働いた一年だった気がする。
その感覚は不思議と、24歳、社会人一年目の頃とどこか似ている。
あの頃は、とにかく役に立ちたかった。
迷惑をかけていないか。少しでも誰かの仕事が楽になっているか。そんなことばかり考えていた。
「働く」という言葉は、「傍を楽にする」とも言われる。語源として正しいかどうかはさておき、とても好きな解釈だ。誰かの側を楽にすること。それが働くということなのだとしたら、今年は確かに働いた一年だったと思える。
社長になってからは、つい会社の未来や数字ばかりを見がちになる。
売上や利益、仕組みづくり、新しい挑戦。どれも大切なことだ。
けれど今年に限って言えば、少し違った。
目の前にいるスタッフが安心して働けているかどうか。そのことを一番に考えていた気がする。
では――社長の成績表は如何に。
数字で見れば、きっといろいろある。反省も課題もある。
それでももし評価の基準が、「傍を楽にできたかどうか」だとしたら、この一年は悪くなかったのではないかと思っている。
カレンダーの上の3月31日を眺めながら、そんなことを静かに考えている。
また新しい一年が始まるけれど、できれば来年の今日も同じように、「よく働いた」と言えたらいいなと思う。
本日は、とある葬儀社様にて、遺品整理セミナーの講師をさせていただいた。
コロナ前は年に4回ほど開催していたセミナーだったが、その後はずっと開催がなく、今回は久しぶりの再開となった。家族葬へと大きくシフトした流れの中で、これからは中規模の葬儀の獲得も視野に入れていきたいとのことで、今後も定期的に開催したいというお話もいただいた。
ありがたいことである。
しかし正直なところ、私は少し苦笑いしてしまった。
これまで何度も依頼をいただいているが、講師料の話は一度も出たことがない。無料かどうかという以前に、フィーの話そのものが出てこないのである。そのうえ質問コーナーや個別相談まで対応できますか、と言われることもある。
もちろん儲けるつもりはない。ただ気持ちよく仕事がしたいだけである。
これまでの関係の中で、互いに行き来はある。だからこそ余計に、「無料でお願いします」という前提のまま話が進んでいくことに、どこか小さな違和感が残るのも事実である。
講師という仕事は、その場の30分だけの話ではない。そこに至るまでの経験や準備も含めて差し出している時間だからである。
とはいえ、会場に来てくださった方にとっては、その時間は命の30分である。
遺品整理というテーマは、一生のうち何度も向き合うものではない。だからこそ、その一度の機会が役に立つ時間になるよう、できる限りのことをお伝えしている。
そして最後には拍手をいただく講座になる。
その拍手を聞くたびに、この30分には確かな意味があったのだと思う。
だから私は今日も全力で話すのである。気持ちよく仕事ができる関係でありたいと願いながら。
880/1000 リサイクル家電は、直接お持ち込みいただくのがいちばんです
テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコン。いわゆるリサイクル家電は、「家電リサイクル法」という仕組みによって処分方法が