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環境管理センターブログ

2026/05/25
912/1000 いつでも誰とでも繋がれる時代の孤独   

今朝の新聞に、「多死社会 “無縁” の最期」という特集記事が載っていた。

孤独死。

無縁遺骨。

身寄りのない高齢者。

 

そんな言葉が並んでいた。

 

ただ、「孤独死」という言葉を見ながら、少し考えてしまった。

 

今は、いつでも誰とでも繋がれる時代だ。

 

スマホを開けば、世界中の人と会話できる。

SNSを見れば、誰かの日常が流れてくる。

動画を開けば、無音になることもない。

 

なのに、人は孤独になる。

 

いや、もしかすると、繋がりすぎているからこそ、孤独なのかもしれない。

 

昔は、もっと不便だった。

電話も気軽ではない。

会いに行かなければ顔も見れない。

それでも、人は自然と誰かの家へ行き、縁側で話をし、座布団を出し合っていた。

 

家には来客用の布団があり、泊まっていく前提の暮らしがあった。

 

今は違う。

 

誰にも会わなくても生きていける。

食事も届く。

仕事もできる。

買い物も済む。

 

便利になったはずなのに、人との接点だけが、少しずつ薄くなっている。

 

家財整理の現場へ行くと、その変化を感じることがある。

 

立派な仏壇。

客間。

大量の座布団。

押し入れいっぱいの来客用布団。

 

それらは、“誰かが来る暮らし”の名残だ。

 

けれど最近の家には、そもそも客間がない。

来客用の座布団もない。

ましてや布団もない。

 

合理的で、効率的で、片付いている。

 

だけれど、人間関係までミニマルになっているようにも見える。

 

「無縁」という言葉は、単に一人で亡くなることではないのかもしれない。

 

誰とも関わらずに生きること。

あるいは、誰とでも繋がれるのに、本当には繋がれないこと。

 

その静かな違和感のことを、時代は「孤独」と呼んでいるのかもしれない。


2026/05/23
910/1000 こころはコロコロと  

人との出会いというのは、本当に不思議だ。

数年に一度しか行かないような場所で、なぜかバッタリ会う。

少し立ち話をしただけなのに妙に盛り上がって、そのまま次につながっていくことがある。

 

冷静に考えれば、ほとんどゼロみたいな確率だ。

あの日、少し家を出る時間が違っていたら。

別の道を通っていたら。

「今日はやめておこう」と思っていたら。

きっと会わなかった。

 

でも、そういう偶然ほど、人生を静かに動かしていく。

 

ただ、その出会いが良かったのか悪かったのかは、その時には分からない。

いや、もしかすると最後の最後まで分からないのかもしれない。

 

苦しかった出会いが、何年も経ってから自分を支えていたと気づくこともある。

逆に、運命のように思えた出会いが、自分を遠回りさせていたと知ることもある。

 

結局、それを決めるのは出来事そのものではなく、自分の心なのだろう。

 

けれど、その心をいつもフラットに保つというのは、人間にはかなり難しい。

嬉しい日は舞い上がるし、嫌なことがあればすぐに色眼鏡で見てしまう。

期待もするし、落胆もする。

 

「こころ」はコロコロと転がる。

 

昨日まで平気だったことに傷ついたり、どうでもよかった一言に救われたりする。

夕方の風景ひとつで気持ちが変わる日もある。

 

だから人は、同じ出来事でも、その時々でまったく違う意味を与えてしまうのだろう。

 

このこころの波がたとえば30年後なんかに大きなうねりになる。


2026/05/21
908/1000 息子が選んだレコード   

テストが終わって、ようやくゆっくりしている様子だった。

息子はレコードをかけながら、漫画を読んでいた。

流れていたのは、ビル・エヴァンスのライブ盤。

 

私も隣で一緒に聴いた。

特別な会話があったわけじゃない。

でも、とてもいい時間だった。

 

昨年、息子の誕生日にレコードをプレゼントした。

その後、プレーヤーとスピーカーも揃えた。

息子と音楽を一緒に聴きたかったからだ。

 

あれから一年。

息子が初めて自分で買ったレコードが、ビル・エヴァンスのライブ盤だった。

 

いつもはイヤホンで、一人で音楽を聴いている。

それはそれで今の時代らしい聴き方なのだと思う。

 

でも、レコードには少し違う空気がある。

 

針を落とすと、「これちょっと聴いてみて」と、誰かと共有したくなる何かがあるのだろう。

 

便利さだけならスマホの方が圧倒的だ。

けれど、盤を取り出して、針を落として、スピーカーから音を流す。

その少し面倒な時間の中に、人と同じ空気を共有する余白みたいなものがある気がする。

 

ビル・エヴァンスを聴きながら漫画を読む息子を眺めていたら、

「こういう時間が欲しかったんだな」と思った。

2026/05/19
906/1000 「ワンツー・ワンツー」が聞こえていた頃   

最近、子供の頃のことをよく思い出す。

私が育った街には、よく移動販売が来ていた。

八百屋や焼き鳥屋、北海道直送の牛乳屋。今思えば、小さな商店街が、そのまま住宅街を巡回しているような時代だった。

そして彼らは決まって音楽を鳴らしながらやって来る。

遠くから聞こえてくるメロディーで、「あ、来た」と分かるのだ。

中でも強烈に覚えているのが、水前寺清子 の「三百六十五歩のマーチ」。

暗くなり始める頃、遠くからあの軽快なリズムが聞こえてくる。

“ワンツー、ワンツー”

すると子供だった私は、なぜかそわそわした。

窓の外を見たり、外へ飛び出したり、「今日は何を売っているんだろう」と胸を躍らせたり。

結局、その車が何屋さんだったのかはよく覚えていない。

けれど、「ワンツー・ワンツー」のリズムだけは、今でも身体が覚えている。

今思えば、あれは物を売りに来ていたというより、“夜の入り口”を知らせに来ていたような気もする。

夕焼けが少しずつ青に変わり、家々の明かりが灯り始める頃。

どこか遠くで犬が吠えて、台所からは夕飯の匂いが漂う。そんな街の空気の中を、「三百六十五歩のマーチ」が妙に陽気に流れていた。

今は、しんと静かな街だ。

あの頃のように、音楽を鳴らしながら走る移動販売車もほとんど見なくなった。

窓を開ければ誰かの気配がした街は、ずいぶん静かになった。

便利にはなったのだと思う。

欲しい物はすぐ届くし、わざわざ外へ出なくても暮らしていける。

だけれど、あの「ワンツー・ワンツー」と聞こえてきた夕暮れの高揚感は、もうどこにもない。

子供たちの声。

夕飯の匂い。

西日の色。

家へ帰る時間の空気。

一番戻りたい時代とは、案外ああいう、何でもない夕暮れだったりするのかもしれない。

2026/05/17
904/1000 四畳半、占領される   

四畳半というのは、本来「自分だけの部屋」だったはずだ。

好きな音楽を流したり、本を読んだり、ちょっと一人になったり。そんな場所だったのだけれど、最近そこが妙に賑やかになってきた。

 

息子が新しいテニスラケットを買ってきて、私の部屋に置いた。さらにベースまで持ち込み、アンプにつないで弾き始める。

 

妻は妻で、自分の愛機である掃除機を置く。

 

娘は娘でアップライトピアノを置き、やはり弾く。

 

気づけば、もはや私の部屋ではない。

 

 

ただ、不思議と嫌ではない。

 

むしろ、みんなそれぞれ、自分の好きなものや大切なものを自然とここへ持ってくる。その感じが少し嬉しいのだ。

 

息子も、完全に一人の部屋で弾くより、誰かの気配がある場所の方がいいのかもしれない。娘もそう。妻の掃除機も、たぶん「ここなら置ける」という安心感なのだろう。

 

四畳半は狭くなった。

 

でもその分、家族との距離は少し近くなった気がしている。

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