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明日の日曜日から、大型連休に突入する私たちの会社です。
4連休ということになりますが、一部の事業系ゴミ収集スタッフは、連休中も変わらず仕事をしています。
人が動く時、ゴミは出る。
私たちの会社が所在している鶴岡東工業団地は製造業の会社がほとんどですから、連休中はゴーストタウンのようにひっそりしています。
けれどその一方で、観光地、道の駅、ホテル、飲食店はかき入れどき。
人が集まり、にぎわいが生まれれば、その分だけゴミも出ます。
街の活動を止めないためにも、私たちの出番です。
連休中も収集に向かうスタッフがいるからこそ、地域のにぎわいは静かに支えられているのだと思います。
という事で、私も出社して、ゴーストタウンの主として思いっきり仕事をしようと計画しています。
静かな工業団地で過ごすゴールデンウィークも、なかなか悪くないものです。
人が動くところを支える側としての連休。
それもまた、私たちらしい過ごし方なのだと思っています
仕事上のミスというのは、できればしたくないものだ。
これはベテランになればなるほど、役職が上になればなるほど、なおさらそう思う。
経験もある。責任もある。判断も任されている。
だからこそ「間違えない人でいたい」と思ってしまう。
しかし社長もミスをする。
そしてその瞬間、ほんの一瞬だけだが、
できれば隠したいという衝動に駆られることがある。
これは正直なところだと思う。
けれども、ミスを隠すという選択だけはしてはいけない。
小さなミスほど早く伝える。
あっさりと告げる。
しっかり対応する。
そして引きずらない。
これに尽きる。
むしろ社長がそうしている姿そのものが、会社の空気をつくるのだと思う。
ミスを責める会社になるのか、
ミスから立ち上がる会社になるのかは、きっとここで決まる。
ミスをしない人になることより、
ミスを正しく扱える人でありたい。
私には、経営者としても、人としても師匠と呼べる方がいる。
もう亡くなって8年が経つ。
コロナがあり、社会の変化があり、そしてAI革命のような大きな波もやってきた。その節目節目で、何度も思った。
こんなとき師匠だったら、なんと言っただろう。
ここ一年は特に壁にぶつかることが多く、やはり相談できたらなあと、そんな思いが心のどこかにずっとあった。
そんな折、ふと一冊の冊子のことを思い出した。
師匠の奥様からいただいたものだ。師匠が大切にしていた言葉がぎっしりと詰まっている冊子だった。
これまでも何度かページをめくったことはあった。けれどそのときは、「いい言葉だな」と思う程度で、どこか遠くから眺めていたような気がする。
ところが最近改めて開いてみると、裏表紙の一文が目にとまった。
「“朝が来ない夜はない”という諺がありますが、朝が来ない夜を私は行くたびか修羅の中で体験してきました」
その続きを読んだとき、はっとした。
そこに並んでいた言葉は、励ましの言葉ではなかった。
成功者の言葉でもなかった。
どん底で震えていたとき、自分で自分を励ますために書き留めた言葉。
そのひとつひとつが「痛痕の譜」だと記されていた。
なるほどと思った。
強い人の言葉ではなく、震えながら歩いた人の言葉だったのだ。
だからこそ今の自分に届いたのだと思う。
師匠はいない。けれど言葉は残っている。
そしてその言葉は、不思議なことに、今の自分に向けて語りかけてくる。
亡くなって8年経っても、こうして励まされている。
私には、今も師匠がいる。
そう思えたことが、とても嬉しかった。
自分の内側にある「こうしてほしい」という願いを、そのまま相手に向けてみる。
責めてほしいわけではなく、理解してほしい。
否定してほしいわけではなく、認めてほしい。
距離を置かれたいわけではなく、近づいてほしい。
当たり前のことのようだけれど、これがなかなか難しい。気づけば人は、望んでいることとは反対の態度を取ってしまうものだ。理解してほしいのに責めてしまう。認めてほしいのに否定してしまう。近づきたいのに距離を取ってしまう。
人は鏡だというけれど、本当にそうだと思う。
こちらが責める気持ちを持っていると、相手も責めてくる。身構えていると相手も身構える。逆に、少し理解しようとしてみると、不思議と相手も話してくれるようになる。こちらの差し出し方が、そのまま返ってくることが多いのだ。
だから、自分が相手から向けてほしい気持ちを、そのまま先に差し出してみる。
すると状況は驚くほど変わる。劇的に変わると言ってもいい。空気が変わり、言葉が変わり、関係の向きが変わる。その変化の早さに、自分でも少し面白くなるくらいだ。
相手を変えようとすると難しい。でも、自分の向きだけなら変えられる。その小さな変化が、結果として関係全体を動かしていく。
人は皆、優しくしたいし、されたいのだと思う。
強く見える人も、無口な人も、少し距離を取る人も、その奥には同じ願いがあるはずだ。だからこそ、「こうしてほしい」という願いは遠慮せずに先に差し出してみればいい。
人は鏡だという言葉は、相手を責めるための言葉ではなく、自分の関わり方を整えるための言葉なのだと思う。
そう考えるようになってから、人と向き合うことが少しだけ楽しくなった気がしている。
私たちが拠り所としている整理収納アドバイザー理論は、今から20年以上前、家事代行という仕事を社会に位置づけるための裏付けとなるライセンスとして誕生した。
当時、家事は家庭の中で行うものであり、それを職業にするという発想には、どこか違和感があった時代だったのだと思う。
そして、私たちの仕事の柱となっている遺品整理もまた同じだった。
遺品整理は本来、家族が行うものとされてきた。そこに第三者が関わり、それを生業にするということは、以前は少し非常識なことのように見られていた。
けれど今、家事に国家資格を設けようという議論が始まっている。
かつて家庭の中に閉じていた仕事が、社会の仕事として言葉を与えられようとしているのだ。
整理収納も、遺品整理も、最初から評価されていたわけではない。
ただ必要とされていたから続いてきただけだ。
価値というものは、あとから社会が追いついてくる。
私たちが関わってきた仕事もまた、そういう時間の中にあったのだと思う。