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今日は、町家ギャラリー&カフェ「古今(ここん)」のオーナー・あい子さんと一緒に、鶴岡で古家具や古道具のリメイク・販売を行っているdenbeeさんの工房におじゃましてきました。
「古今」は、築150年の町家をリノベーションした空間で、地元作家の作品展示や、季節のランチプレートが楽しめる場所。
私たちが家財整理の現場から引き上げてきた古道具たちも、ここで再び光を浴びながら、お客様の目に触れています。
捨てられてしまえば、ただの“ゴミ”として消えていたはずのモノたちが、誰かの手により、空間により、生き直している。
その姿に、私たち自身が励まされている気がします。
そんななか訪れたdenbeeさんの工房。
この道13年というキャリアの中で培った技術を、惜しみなく見せてくださいました。
研磨剤やスポンジの選び方、木肌を活かす磨きのコツ。
「ここは力を抜いて、こっちはじっくり」
一つひとつの動作に、モノへの敬意が宿っているようでした。
でも一番心に残ったのは、その道のり。
「一人でやってると自由はあるけど、立ち上げの頃は…陽が落ちるとどうしようもない不安に襲われてね」
ぽつりと語られた言葉に、静かな重みがありました。
売れない日々に揺れながらも、手を止めず、モノと向き合ってきた時間。
その積み重ねが、今の温かな空間と、人とのつながりにつながっているのだと思います。
私たちの仕事も、ただ“片づける”だけではない。
誰かの記憶を引き継ぎ、次の人の暮らしへと橋渡しするような営み。
その一端を担えることを、あらためて誇りに思えた一日でした。
今日は、ちょっとぼやかせていただきます。
11月下旬に予定されていた、約200人規模の講演会。
私にとっては大きな規模ですし、しかも専門としている整理収納の中でも、新分野にあたるテーマ。
だからこそ、スライドのストーリーを組み立て、そこに合わせて必要なパーツを揃え、足りないピースがあれば現場に足を運び、知識が足りなければ勉強会にも参加して…。
もちろん衣装だって、テーマや参加者層に合わせて準備していました。
そんな中、一本の電話。
「無くなりました」
——以上。
思わず「えっ!」と声が漏れた私に、相手は意外そうな反応。
拍子抜けというより、なんだかモヤモヤだけが残りました。
講演会の依頼って、なぜか対応が雑なケースが多いんですよね。
でも、今回はその中でも残念さが際立つ出来事でした。
…とはいえ、これまでの経験上、準備したものは必ず次に、もっといい形で生きます。
これまでも、そうでしたから。
今日、実家に避難させていたソファーをついに自室へ持ち込むことにした(息子を助手に)。
これでレコードプレーヤーの前に腰を落ち着け、ジャケットを眺めながら音楽に浸れる。「大人の秘密基地+子供達と音楽で繋がる場」完成である。
…と言いたいところだが、その分だけ掃除はしにくくなる。
妻の視線がレーザービームのように突き刺さる未来が見えるが、そこは「このレコード部屋に、息子もソファーがあるといいねと言っていたという情報」を盾に押し切る予定(子供達を巻き込むと強い)。
それでひとつだけ、あえてやらないことも決めている。
仕事で扱っている古道具は、自室のインテリアには取り込まない。
古道具は素晴らしい。けれど、私の場合、その持ち主や使われ方、その時代背景まで知りすぎている。
そうなると、音楽に没頭するはずの空間で、つい物語の方に引き込まれてしまうのだ。
レコード部屋は、もっと無責任に、ただ「好き」だけで満たしていたい。
そしてもうひとつの決意。
高校生の頃、月に一枚だけCDを買って聴き倒していたあの頃のように、これからは月に一枚ずつLPを揃えていく。
CDがシュルルーと高速で回転する時の高揚感と、ジャケットを手に取ったときのワクワク。
CDはLPに変わるがそんな単純な喜びを、またひとつ増やしていこうと思う。
今日から始まる「高校生に戻る部屋づくり」。
果たして、どんな一枚目から始めることになるだろうか。
先日、妻といろんな話をしている中で、こんな話題になりました。
「もしあの頃に戻れるとしたら、いつに戻りたい?」
最近よくある“タイムリープ”もののドラマや映画の影響か、ふたりして妄想が止まりません。
「小学校からやり直すのもいいよなあ」
「就職してから人生の選択を変えてみたいかも」
「いや、あの時、あの人にああ言っていれば…」
やり直したいこと。やってみたかったこと。
過去の“もしも”を並べると、無限にストーリーが浮かんできます。
でも、その話をした翌朝、ふと気づいたんです。
もしかしたら、今この瞬間こそが「あの頃」なんじゃないか?
たとえば、20年後の自分がこの日を振り返ったとしたら、
「ああ、あの頃に戻れたら」と思うかもしれない。
疲れていても、まだ体が動く今。
大切な人と一緒に暮らしている今。
こどもたちが家の中を騒がしく走り回る今。
未来から見れば、きっとまぶしいくらいの「あの頃」。今というあの頃はこれからも無限にあります。
そう思うと、過去に戻ることを妄想するよりも、
今この瞬間を、大切に味わうことの方が、
ずっとリアルで、ずっとすごくいいあの頃だったのだと感じられてきました。
だったら、毎日をもう少し丁寧に、
少し新鮮な気持ちで生きてみてもいいのかもしれないなと。
ということで、暑いですが参りましょうか!
高校一年の息子が、夏休みに突入した。
部活とスマホ三昧の日々に、学校からひとつだけ渡されたミッション——読書感想文。
しかも「新潮文庫の100冊から1冊選んで書け」という条件付きだ。
普段、本なんてまるで読まない息子。
まずやったのが、iPadに「何読めばいい?」と聞くこと。
令和の読書はAI頼みか、と苦笑いしつつも、ちょっと懐かしくなって私も100冊のラインナップを見てみた。
あった、あった。「車輪の下」「坊っちゃん」「罪と罰」……
あの頃と変わらぬ顔ぶれもいれば、「博士の愛した数式」「ツナグ」なんて、時代を感じる新顔たちも並んでいた。
悩む息子を前に、私が“初めての純文学”として選んだのは、夏目漱石の「こころ」。
高校生が読むには、やっぱりこれだろう。
あの独特の重たさ。静かに沈んでいくような読後感。
「なんかモヤモヤするんだけど…」と彼が言ってくれたら、父としては満点なのだ。
意気揚々と本屋に行くと——「こころ」、まさかの品切れ。
この国に「こころ」がないなんて、と少しばかりセンチメンタルになる父。
それでも手ぶらでは帰れない。
次なる選択肢として手に取ったのは、三島由紀夫の「金閣寺」。
ちょっとハードル高いか?と一瞬迷ったけれど、
美と破壊と、言葉の強度。
感情が揺さぶられる読書体験なら、きっとこれもまた“入口”になる。
そう信じて帰宅し、本を差し出した瞬間、息子が一言。
「わぁ、つまらなそう!」
……心、折れるかと思った。
いやいや、グッと堪えて思いなおす。
いつか彼はきっとわかるはずだ。
この装丁の重み、三島の文体の鋭さ、そして人間の内面の奥深さ。
「これを選んだお前のセンス、最高じゃん」と未来の誰かが褒めてくれる日が来る。
そんな小さな期待をこめて、父は今日も黙って見守るのである。