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「偉い」という言葉には、
最初から二つの顔がある。
ひとつは、
行動に向けられる「偉い」。
続けている。
逃げずに向き合っている。
結果はともかく、ちゃんとやっている。
こういう場面で使われる「偉い」は、
人を前に進ませる言葉だ。
もうひとつは、
立場や自己評価に向けられる「偉い」。
もう分かっている。
ここまで来た。
教わる必要はない。
この「偉い」は、
少しずつ人を止めていく。
ややこしいのは、
同じ言葉なのに、
向きが変わるだけで意味が反転することだ。
人は誰でも、
自分を偉い場所に置きたくなる。
それ自体は自然なことだ。
ただ、その場所に居座り始めると、
空気が変わる。
質問が減る。
違和感が共有されなくなる。
そのうち誰も、
服の話をしなくなる。
裸の王様が生まれるときは、
たいてい静かだ。
偉さをまとおうとする行為は、
成熟ではなく、むしろ幼さに近い。
成熟している人ほど、
自分を「偉い側」には置かない。
分からない場所に立ち続ける。
「偉い」という言葉は、
使い方ひとつで、
背中も、足も止めてしまう。
だからこそ、
行動に向けて使うのがちょうどいい。
立場を守るための言葉になった瞬間、
その偉さは、
幼さに変わる。