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面白い記事を読んだ。
近年、ご飯にかける「ふりかけ」の消費量は増えているのに、肝心の「米」の消費量は減っているという。物価上昇や節約志向を背景に、ふりかけ市場は拡大し、販売額は過去最高。一方で、白米そのものを苦手とする子どもも増えているらしい。
ふと、妙な感じがした。
本体に対する苦手から、ふりかけが求められているのか。
それとも、もはや「デフォルトがふりかけ」なのか。
本来は、白米があって、ふりかけがある。
ふりかけは、味を足すものというより、引き立てるものだったはずだ。
けれど使い方次第では、白米の味を感じなくさせてしまう。
それにしても、「本体」が軽んじられていく感じは、どこか他人事ではなかった。
自分自身も、ときどきそんなふうに感じることがある。
役割、肩書き、情報、評価、常識。
日々の暮らしの中で、私たちは無数の“ふりかけ”を浴びている。
気づけば、それがないと味気なく感じる。
けれど本当は、自分の中にも、ちゃんと味はあるはずなのに。
白米が、うまい。
そう感じる瞬間は、たしかにある。
噛むほどに甘みが出て、湯気の匂いと一緒に、身体に沁みてくる。
あの感覚を、私は確かに知っている。
それなのに、日常に戻ると、その感覚をすぐ忘れてしまう。
味がなくなったのではなく、味わわなくなっている。
現代人は、私も含めて、そこが一番鈍っているのかもしれない。
だからこそ、そこに気が付くこと。
目を向けること。
翻って、着飾るよりも、自分磨き。
足す前に、噛む。
盛る前に、味わう。
今日の白米を、ちゃんと噛んでみようと思う。